「結婚=幸せ」は思い込み?結婚を目的に結婚→スピード離婚【原因&対策】

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こんなに早く離婚することになるなんて⋯。
みっともない。恥ずかしい。自分はなんて惨めな人間なんだ。
そう思うのも無理はない。家族、親戚、友人、職場の人たちに祝福されながら盛大に結婚式を挙げ、そしてスタートした結婚生活。しかし実際にフタを開けてみれば価値観や考え方の違いから2人の間には溝がうまれて、自宅の玄関のドアを開けるのも気が重い。
そんな耐え難いストレスに耐えつつも、ついには離婚。
苦渋の決断だった。なぜならあなたにとって結婚は幸せの象徴であり、いわば人生の目的だったから。
一度手にした人生の目的を手放すことになってしまい、あなたが理想と現実の間で葛藤しているのは重々承知である。
結論、結婚は人生を豊かにするための方法の1つに過ぎず、離婚してもなんとかなる。
この記事には、「幸せになりたければ結婚しろ」という幻想に囚われて結婚したはいいものの、挙式後1か月で別居し、4か月後には離婚することになった私の壮絶実体験をまとめた。その後、他人や世間の価値観、評判に振り回されずに生きる考え方に出会い充実した日々を送っている。
- ついこの前結婚したばかりで離婚するなんて非常識だ
- 周囲の人たちから避難されるのが恐ろしい
- 自分がどうしようもないダメ人間に思えてしまう
- 誰かこの苦しみをわかってくれる人が欲しい
私の記事を読んでいただき、結婚することが果たして自分の人生の幸せに本当に必要なものなのか考えるきっかけにしてほしい。
ハリウッドスターもびっくりのスピード離婚にいたった私の経験が、ぜひみなさんの豊かで自由な人生の参考になれば幸いだ。

結婚そのものや、結婚相手に幸せを求めるなんて無責任。いつだって自分の人生を幸せにできるのは自分自身ですね。
日本の離婚事情

離婚で思い悩む人は日本にどれぐらいいるのか?
まずはその実態を見ていこう。
離婚する人は100人中約39人
厚生労働省の人口動態統計速報(令和6年10月分)によると、令和5年11月〜令和6年10月の婚姻数は48万9千393人、離婚数は19万689人。
また離婚/結婚比(離婚数÷結婚数)は約0.39となっている。つまり100人中約39人は離婚してるということだ。
下記図表は離婚件数の推移に関してまとめられたものである。

出典:「婚姻数の減少と結婚に対する意識の変化」日本総研
離婚件数は2003年あたりをピークに右肩下がりとなっているが、そもそも結婚する人の数も減ってきているというのが日本の結婚・離婚事情のようだ。
100人中約39人が離婚というのは、想像していたよりも多いなというのが私の感想だ。
「今の時代、3組に1組は離婚するから〜」なんていう言葉を見聞きしていたが、実態はそれ以上だった。
同年代の知り合いで離婚している人なんて1人もいなかったので、「3組に1組も離婚するわけないやろ」と離婚直後の私はトゲトゲしていたが、この場をかりてあやまりたいと思う。
情緒不安定ですみませんでした。
スピード離婚は17%
結婚してから2〜3年未満の離婚を一般的にスピード離婚と呼ぶようだ。
3年未満で離婚する夫婦の数と割合の推移を表にまとめてみた。
年 | 離婚総数 | 3年未満の離婚件数 | 割合 |
1985年 | 166,640 | 37,183 | 22% |
2005年 | 261,917 | 56,152 | 21% |
2020年 | 193,253 | 36,961 | 19% |
2023年 | 183,808 | 31,103 | 17% |
(表12)同居期間別に見た離婚件数の年次推移
昔の方がスピード離婚の割合が多かったことは意外な結果である。
また、2023年に離婚した人の中で5年未満に離婚した割合は29%だった。
なんとなくまとめると、離婚する人のうち3.5人に1人は5年未満、6人に1人は3年未満に離婚していることがわかった。
ちなみに厚生労働省が「離婚までの期間」を「同居期間」で換算しているのは、裁判が始まってから離婚が成立するまでに時間がかかるケースが多いからだそうだ。
ふーん。
続いて離婚原因について男女別にみていこう。
【参考:令和5年度 司法統計年報 家事編】
夫・妻ともに離婚原因の1位は性格が合わないだった。
結婚前にある程度付き合っている期間があるにも関わらず、この結果である。
なんとも情けない結果に思えるが、そんな私も離婚当時に理由をきかれると「性格の不一致」と答えていた。もっとも今は私の結婚観に原因があったと理解しているが、この話はまた後ほど。
さて、どのくらいのデータがあれば、当時の私が離婚を前向きに捉えられるだろうか?そんなことを想像しながら、気の向くままにあれこれと調べてまとめてみた。
過去の自分のためにである。
あなたのためではない。
でも、結果、あなたのためになってくれたらこんなにうれしいことはない。
私の離婚事件簿

私の結婚生活がどんなもので、そしてどのように離婚していったのか、壮絶なエピソードの中からえげつなくつらかった時期を3つ紹介していこうと思う。
なんてことはない。
ちょっとしたエンターテイメントだと思ってもらえればいい。
Episode1:命がけの結婚式準備

私は結婚してから同居し始めたわけではない。同居期間1年半の間に婚姻届を提出し、挙式したのだ。
『結婚前の同居している間に別れようってならなかったの?』
そんな声が聞こえてきそうだが、「我慢強い」「嫌なことから逃げてはいけない」「内にため込む」という私の気質と「同居し始めるといろいろあるよね。こんなもんだよね。」「結婚を前提に同居し始めたのにいまさら別れられないよね」という思い込みから同居生活を続けていた。
ところが、結婚式の段取りがスタートしてから日々の生活がよりストレスフルになっていった。
手伝ったらあかんのかーい
唐突だが皆さんに質問したい。
パートナーが結婚式会場の飾りつけの小物作りを目の前で始めたらあなたならどうする?
「いっしょに作る」「何かできることはないかきく」
相場ではこのあたりのアクションが妥当なところではないだろうか。
例に漏れず、私もとなりへ座って作り方をご享受いただきながら作業を進めた。
しばらく作業の時間が続いたが、そこで私は異変に気づく。
⋯なんだ?このプレッシャーは。
ハマーン・カーンも全身に鳥肌が立つほどの異様な空気を私は感じ取った。
「妻の機嫌が悪い⋯」
全然しゃべらないし、表情が硬い。
私はすぐさま自分自身の言動をかえりみた。しかし、何ひとつ心当たりがない。心当たりがないこと自体が問題なのかもしれない。このまま自問自答をしていたって、状況は何ひとつ好転しない。ならばこちらからコンタクトを取るしかない。きっと無傷では済まないだろう。しかしここで対処しておかねば後々取り返しのつかないことになる。野焼きが山火事になる前に食い止めなければ。それができるのは今だ!今しかないんだ!
「どうしたん?」
勇気をふりしぼるとはこのことだ。
すると妻は重たい口を開き、こう告げた。
「今日は試しに作ってみようと思っただけやから、手伝いにきてほしくなかった」
⋯難しい。実に難しい。
妻は自分の心の内を表出するのが苦手で察することを求める人間だった。
彼女とうまくやっていくためのスキルは、掃除でもなく洗濯でもなく料理でもなく、家計管理能力でも経済力でもなく超能力だった。
やめだやめだ!結婚式なんてやめだ!
先に例に挙げたように、結婚式の準備には相当神経をすり減らす必要があった。
私なりにもかなり努力したし、妻に歩み寄ったつもりだった。
しかし妻は結果が伴わないと、つまり自分の要望が完璧に満たされないと満足しない人間だった。言わば100点以外は全部0点という採点方法だ。努力の過程はノーカウント。
そして私はのび太くんもびっくりの0点を量産する日々。
泣いてすがりつく猫型ロボットが側にいてくれるわけでもなく、擦り切れた神経が限界を迎え、こんなしんどい思いをして準備するぐらいなら結婚式なんてもうやめにしようと感情を爆発させた。
自分って、こんなに早くしゃべれるんだなと思ったのと、怒りが爆発する寸前って体が震える(実際に震えていたかはわからない)のだと感じたことを覚えている。
もちろん妻も黙ってはいない。
いや、正確には黙ったままだったが、結婚式準備のために用意した雑誌や書類やらをゴソッとまとめて拾い上げ、ゴミ箱まで運んでドーン!と投げ捨てた。
それから数分、数十分と時間がたつごとに、さすがに感情的になりすぎたと反省した私は、つらかったことや結婚式をやるなら楽しく準備していきたいという思いを伝えた。
結果、お互いが楽しく準備できるように努力することを約束し、結婚式を行うことになった。
そして1か月後⋯
ぜーんぶもとどおり
また地獄の日々。
なんでやねん。
緊急避難。スーパーの駐車場。
いつの日からか、玄関のドアを開けて家に入るのがつらくなっていた。
今日の妻の機嫌はどうか。怒っていないか。不機嫌じゃないか。
そればかりが気になって、自分の家なのに帰るのがいやになっていた。
ある日の昼間、どうしても妻のいる家に帰るのがいやで、時間を潰すのに立ち寄った場所が近所のスーパーだった。
車から降り、腰を下ろした場所はお店の側面の人通りの少ない日当たりの良いコンクリートの上。
この文章、いったい何人の人に読んでもらえるかわからないが、世に出すからにはわかりやすく楽しい文章を心がけている。
しかし、あの日あの時あの場所を説明するにはもう、「お店の側面の人通りの少ない日当たりの良いコンクリートの上」としか書くことができない。お許し願いたい。
とまぁ名も無い場所ではあるが、午後ティーレモンを飲みながらすごした数十分は、私の心に平穏をもたらしてくれた。
Episode2:新婚旅行はモルディブ。楽園?いいえ、地獄です。

変な誤解を与えたくはないので先に言っておくが、モルディブは1生に1度は行ってもらいたいとても素敵なところだ。
さて、妻は色々こだわりたかったし、私もガンコなところがあるので結婚式の準備でトラブルが続いたのはしかたないと今振り返ってみて思う。
さぁ結婚式も終わり、プレッシャーから解き放たれた妻の情緒も少しは安定するはず。
そんな期待を抱いて始まった新婚旅行。
行き先は「インド洋の宝石」とも称されるモルディブだ。
息をのむほど美しい海と空、水上ヴィラなどの贅沢なプライベート空間、豊富なアクテビティでラグジュアリーな時間の流れを体験できるハネムーンにはもってこいの魅力的なリゾート地である。
だが、私を乗せて関空から飛び立った飛行機の行き先は、地獄の1丁目だった。
桟橋に同情を求める
モルディブのリゾート地といえば水上ヴィラが有名である。
水上ヴィラとは、海の上に建てられたヴィラタイプの宿泊施設のことで、1棟ずつ独立しているためプライベート感を味わえたり、きれいな海や空を居室内やバルコニーから楽しむことができる。
モルディブの水上ヴィラは、一生の思い出になる特別な体験を提供してくれた。
さて、この水上ヴィラは陸とは地続きにはなっていないので、ホテルの受付がある島からは桟橋を通っていく必要がある。
私と妻が滞在した客室は、桟橋を1番奥まで歩いた先にあるヴィラであり、ゆっくり歩くと15分ほどかかった。
移動時間はかかるものの、客室は言わば角部屋であり、視界には一切の人工物が無い絶景の大パノラマで海と空を堪能することができた。
その桟橋が今回の悲劇の舞台である。
つい前置きが長くなってしまった。ごめんなさい。
滞在中に参加したアクテビティのひとつに、シャンパンクルージングというものがあった。
クルーザーの2階にセミダブルサイズ程度のマットレスが敷かれており、そこに寝転んで夕暮れの空を見ながらフルーツや軽食とともに酒を飲むという超ご機嫌なイベントだ。
刻一刻と夜の姿に変わっていく空を眺めている間も、クルーザーは海の上を走っており、心地いい風を感じならが私は最高の気分を味わっていた。
しかし、そんなセレブ気分も束の間、状況は徐々に思わしくない展開へと進む。
お、おなかが痛い⋯
モルディブの年間平均気温は26〜33℃。
いくら常夏の気候と言えど、夜の海をそれなりの速さでクルージングすると若干の肌寒さを感じる。
この時の私の装いはTシャツと短パン。
自分の場合、涼しい環境にさらされ続けた結果、その影響を真っ先に受けるのは胃腸だと相場は決まっていた。
そして例に違わず、このときも腹痛はきちんと私のもとにやってきた。
日本からモルディブへはシンガポールで飛行機を乗り継ぎ、モルディブのマーレで1泊した後、ホテルへは水上飛行機で向かう必要がある。
こんな長旅を経て、遠路はるばるやってくるなんて⋯
なんだか感慨深いものがある。
そんな感傷に浸るまもなく、私の不調に気づいた妻の異変に胸騒ぎが止まらない。
クルージングが終わった後、妻は明らかに怒っていた。
私のことを見向きもしないし、言葉もかわそうとしない。
「もともとお腹弱いねんからあらかじめ上に1枚羽織るとか、なんで対策してないん?」
やっと口を開いた妻が言い放ったひとことである。
もっともである。妻が言うことはいつも正しかった。
完全無欠、冷静沈着、弱肉強食。
弱肉強食はさておき、妻の理屈はいつも完璧だった。完璧ゆえに極寒の鋼のように冷たく感じた。
ターミネーター2でアーノルド・シュワルツェネッガーが演じたサイボーグのT-800でさえ、ジョン・コナーに「たまには笑わないと」と言われて不器用ながら笑顔を作って見せるというユーモアな思考を持っていた。
このとき、妻に「笑って?」なんて言おうもんなら、太い針のように変形させた指で私の肩はブッ刺されていたことでしょう。
とにかくそんな不穏な空気が漂う中、夜の桟橋を歩いて自分たちの部屋に帰ることになった。
ただ、妻の歩くペースが早い。どんどん離されていく。
もう腹痛に苦しむ私をきづかうつもりなんてさらさらないのだ。
一般的に新婚旅行に来てるカップルって熱々だと思う。長い夫婦生活の中でも、トップクラスで楽しい時期だと思う。そのさなかに、体調不良を訴えたら怒られたうえに置いてけぼりにされるなんてことが起こり得るだろうか。
いや、ない。
「逆説」を説明する例文として、国語の教科書にこのエピソードを使っていただいてもかまわない。きっと色んな意味で勉強になると思う。道徳とかの勉強にもなると思う。
私が思い描く理想の状態とはかけ離れた現実に打ちのめされながら歩いた桟橋の上、15分間。
新婚旅行に来て、こんな惨めな気持ちでこの桟橋を歩いた人間はいまだかつていないだろう。
桟橋さんよ、こんな不憫な私をあなたはどう思って見ているのだろう。
SOS!こちらモルディブです
シャンパンクルーズの件然り、この旅でも様々なことで妻は機嫌を損ねていた。
自宅を出発して最寄りの駅まで徒歩で向かっている最中、妻のスーツケースの車輪が転がりにくくて不機嫌。
その妻のスーツケースを私が運ぶから、代わりに私のスーツケースを運んでくれないか?と交換を提案したら不機嫌。
空港でポケットWi-Fiのレンタルの手続きをして帰ってきたら不機嫌(原因不明)。
知らず知らずの内に私が虎の尾を踏んでしまっていたことももちろんあるとは思うが、それにしても私の危機管理能力では対応しきれなかった。
どれだけ気をつけても無駄。どうせまた何かしらで怒られる。そう思うと自暴自棄になってくる。
モルディブに滞在中、何組かの日本人カップルを見かけた。
その人達と会話することはなかったが、雰囲気からして新婚旅行で来ていることは察しがついた。
自分たち夫婦とはちがって心から笑い合い、今まさに最高の思い出を作っているという雰囲気だった。
うらやましかった。
そんな中、「写真撮りに行ってくる」と妻が1人で部屋を出ていったので、私も1人でゆっくりと島を見て歩くことにした。
モルディブのホテルは1島1リゾートといって、小さな島がまるまる1つのホテルの敷地になっている。その島に滞在中は、ホテルの宿泊者やスタッフ以外に出会うことはほぼない。
島自体は小さく、ゆっくり歩いても15〜20分ほどで1周できる。ビーチのいたるところにソファやリクライニングチェアが用意されており、海や空の絶景を楽しみながらくつろぐことができる。
妻の機嫌を気にする必要もなく、何も考えずにゆったりとすごしたこの時間は至福の時間であった。
その時に取った写真がこれである。

みなさんにはただ海を撮っただけの風景写真に見えるだろうが、私にとっては苦悩と安らぎの混沌とした心情がにじみ出た感慨深い1枚である。
当時、この写真とともに日本にいる友人に「助けてくれ〜」とLINEしたことを覚えている。
同行者ガチャ
何もしない時間を楽しむ。それがモルディブでの有意義な時間の使い方だと思う。
時間は有限だ。過ぎた時間は2度と戻ることはない。
だがあえて何もせず、美しい空と海にかこまれた島にただ「いる」ことだけに時間をつかう。
日本からお金と時間をかけてここまで来ておいて、やっと到着したけど何もしない。
これぞ贅沢である。
そもそも私が滞在した小さな島には観光地もショッピングセンターも遊園地や映画館などの遊興施設も何も無いのだ。
かなり偏った見方をするなら、そこにあるのは大自然と自分と同行者である。
そう、モルディブ旅行は同行者ガチャだ。
旅行において、目的地がどこであっても誰と行くかが重要なことには変わりない。
特に、アクティビティなどやることに限りがあるモルディブならなおさらだ。
空と、海と、私と、妻。
地獄。
変な誤解を与えたくはないのでもういちど言っておくが、モルディブは1生に1度は行ってもらいたいとても素敵なところだ。
Episode3:最後の試練

自分の成長を親に見てもらえるのはうれしいことだが、みっともない姿は見せたくないものだ。
限界ギリギリの精神状態で新婚旅行から帰ってきた私。
なんとなく妻と一緒の生活を続けていてはいけないと心に思うようになっていた。
そんな中、妻から車を買いたいと相談を持ちかけられたのだ。
妻が乗っていたタントカスタムは年式も古く、今後子どもができたときのことも考えてそろそろ新しい車に買い替えたいということだった。
子どもて⋯
どうやら妻は疲弊した私の精神状態に気づいていないらしい。
それに車を買い替えるということはカーローンを組むということだ。
もし今後、離婚の方向に話が進んでいくとした時に、めんどうなことはできるだけ少ないほうがいい。
カーディーラーに車をみにいこうと妻と約束をしていた2日前に、私は別居したいと申し出た。
本当に勇気がいることだった。
妻からどんな反応が返ってくるだろうか。
1か月前の結婚式に来てくれた親戚、友達、職場の上司や後輩になんて言われるだろうか。
両親やおじいちゃんおばあちゃんにどう説明すればいいんだろうか。
いくつもいくつも、何回も何回も不安が頭の中でグルグル行きかった。
でももう別れる方向に舵をきるためには勇気をふりしぼって言葉に出して伝えるしかなかったのだ。
事情を知った両親は、あまり多くのことを聞かずに私を実家に招き入れてくれた。
それから3か月後、私と妻の離婚は成立する。つまり離婚届を市役所に提出したということだ。
ひとたび離婚に向かって話が進み出してからは、案外テンポよく事が運んでいったように思う。
だがこの間にも2つ悲惨な出来事があった。
私の両親同席のうえ、私が離婚したいと思った理由を妻と妻の両親に説明するというできごとだ。話す方も聞く方も誰も何も得しない地獄の罰ゲームだ。ちなみにここには妻も同席し、妻のたっての希望でこういう場が設けられることになった。
妻の両親に離婚理由を説明するのは納得できるが、うちの両親まで引っ張り出される必要はなかったと思う。だがもう妻の言うとおりにするしかなかった。
あとひとつは財産分与・離婚解決金として妻が300万円の支払いを要求してきたこと。
家計の管理は妻に任せていたので妻がどれぐらいのお金を貯めていたかはわからず、私は自分の通帳の口座残高ぐらいしか把握していなかった。
しかしこの件も妻の言うとおりにするしかなかった。
話し合いで少し減額してもらえたが、私は財形貯蓄を切り崩して255万円を後日妻に渡した。
別に2人の間に子どもがいたわけでもないし、妻は正規雇用で定職についていて経済力もあった。だから255万円は多すぎると思うし、なんなら離婚の原因は妻にもあるんだから2人の貯金を合計して半分ずつで絶対良かったと思う。
と、今ならいろいろ考えをめぐらせることができるが、当時の私はとにかく離婚したい一心で必死だったのだ。
その後も不当な要求や嫌がらせが続くのは嫌だったので、約束事を文章に記した離婚協議書なるものをネットで検索して作って署名、捺印、割印してお互い1部ずつ保管することにした。
お守り代わりのこの離婚協議書は今も大事に保管している。
離婚に関するすべての処理が終わってしばらくした後、私と妻の共通の知人からこんなことを言われた。
「◯◯(妻の名前)さん、新車買ったみたいやで」
え?
それっておれの255まんえん⋯
【原因&対策】結婚が自分の幸せかどうか自分で考えよう

結婚は人生を幸せに生きるための手段であって目的ではない。
要は自分が幸せになるために結婚が必要かどうかは自分で考えて自分で決めなさいよということだ。
いまなら人生における結婚の位置づけをこのように説明することができるが、元妻との結婚生活から離婚を経験する以前の私は少しゆがんだ結婚観を持っていた。その原因と対策について書いていこうと思う。
子どもの頃から私の中には、
- 定職につく
- 車を買う
- 人生のパートナーと出会う
- 遅くても30歳代で結婚する
- 子どもを2人つくる
- 家を買う(庭付き戸建て注文住宅)
- 1つの職場で長く勤め上げる
- 退職金ガッポリで悠々自適なセカンドライフ
こんな感じの「幸せの方程式」がただ漠然と存在していた。
どこからともなく現れたこの考え方は、両親の影響を強く受けていたということにここ2〜3年で気づいた。
べつに両親が悪いとかそういう事を言いたいわけじゃない。自分の身の回りの身近な人間の価値観に人は影響されやすいから、その価値観が自分にも当てはまるかどうか考えないといけないと言いたいのだ。
特に私は自己肯定感が低く、自分に自信のない人間だった。
そういう人間は他人からの評価を気にしたり、期待に答えることに生きがいを見出しがちだ。そうしていく中で、他人が良しとする人生に自分の価値観を重ね合わせ、他人が憧れる人生を歩んでいくことが自分の幸せであると錯覚してしまうのである。
自分がやりたいことを自分の軸で考えずに他人の軸で考えてしまう。
他人の人生を生きる、というやつだ。
私の場合は
- 彼女はいるのか?
- その彼女と結婚する気はあるのか?
- 将来、実家に住んで家を継ぐつもりはあるのか?
- しんどいことがあっても、「何くそ」と思ってあきらめてはいけない
- 早く孫の顔が見たい
といったような言葉を親からかけられ続け、先にも挙げた「幸せの方程式」が作り上げられていった。
これぞまさに刷り込みというやつだ。
結婚しないといけないという思いもここから来ている。他にも友だちの結婚式にお呼ばれした時に、参加者全員が幸せそうな雰囲気で包まれていたり、妻の文句をいいながらも子どもを育てて持ち家で暮らしている友人がたくさんいたりとか、とにかく自分もそんなふうに暮らしていくんだなと常日頃から刷り込みの毎日だった。
そしてそれらに憧れ、いざ自分も結婚してみたらどうなったか。
ここまでお付き合いくださったみなさんはご存知のとおり、悲惨な結末である。
私は両親を喜ばせたかったし、認めてもらいたかったし、それが自分の幸せだった。
そのために結婚は必要なイベントだった。
それに元妻の性格がキツイことはわかっていた。でも家計や家の中のことは完璧に管理してくれていたから、これぐらいの手厳しさがあってもきっちりしている方が人生のパートナーにはいいだろうと思いこんでいた。
これも何かに影響され刷り込まれた価値観に違いないのだが。
いま思えば自分の心の中からははずっと救難信号が出続けていた。
近年はSNSなどを通じて他人のキラキラ人生を簡単に覗き見ることができる。
だがどうかそのキラキラが自分にとってのキラキラであると安易に思わないでほしい。
自分の幸せの定義は他人との関わりや外の世界にあるのではなく、常に自分の内側にある。ましてや競い合うものでもない。自分が人生で本当に大切にしたいことは何なのか、心の声に耳を傾け知ることは後悔しない人生を歩むための道しるべとなる。
私が自分自身を知ってなんとなく人生が楽しくなり始めたきっかけについてはこの記事にまとめている。

最悪、離婚したって大丈夫。
周囲の人間からはあることないこと言われるかもしれないけど、数ヶ月でほとぼりは冷める。
正解だと思ってたことが不正解だとわかった時、物事の見方が広がって色んな考え方を楽しめるようになる。
それに経験した数々の修羅場は笑い話として日々周囲の人々に楽しんでもらっている。
自分の苦労話を笑い話としてきいてもらえるのは本当にありがたいことだ。
そのうち、この価値ある経験談を書籍化してみたいとも思うほどである。
題して
モルディブの中心でSOSを叫ぶ〜時価255万円相当の離婚経験談〜
よろしくおねがいします。