プロフィール
拝啓 世界のすみっこで生きづらさを抱えながら1人でもんもんとしている繊細人間のみなさまへ。
はじめまして、このブログを運営しているCくんと申します。
ぼくはこのブログを見てくれたみなさんが
繊細なまま、ありのままの自分で生きていけば大丈夫だ!
と思えるようなコンテンツにしていきたいと思っています。ぼくがどうしてそんなふうに思うようになったのか、自己紹介をまじえてお話しします。
最後まで見てね。
生い立ち
1986年関西のごく一般的な家庭に生まれ、なに不自由なく高校卒業までを関西で過ごす。
九州の看護大学に通うため、高卒後は九州で1人ぐらしをはじめる。
大学卒業後は故郷に戻って看護師として働きはじめる。
経歴
- 2009年(22歳)地元の病院で看護師として働きはじめる
- 2018年(31歳)1回目の結婚
- 2019年(32歳)離婚
- 2021年(34歳)2回目の結婚。長男誕生
- 2023年(36歳)生きづらさを自覚し、仕事にもやりがいを感じなくなる。副業に興味を持つが自分の強みや得意がわからず自己理解に取り組む
- 2024年(37歳)繊細さに関する本を読み自分がHSPだと気づく
家族構成:妻と3歳の息子と3人暮らし
生きがいは他人に評価されることだった
思い返せば子どもの頃から自分に自身がなくて、まわりの人とくらべると自己肯定感が低い人間でした。自分が他人からどう思われているのかばっかり気になって、「自分が本当にやりたいこと」よりも、「やらないといけないこと」や「やっちゃいけないこと」を意識して優先していました。
その影響か、周囲の人からの期待にこたえていくことに自分の存在意義を見出すようになっていきました。無意識的に、本能的に…。
この自己肯定感の低さがどこからやってきたのか、自分の過去を振り返り内省する中でいつかわかればいいなぁと思っています。
生きづらさの自覚
まわりの期待にこたえようとする毎日でしたが、なんとなく根拠のないむなしさや心にぽっかり穴が空いている感覚、常になにかに追われているくせにやりがいがないという感覚がずっと心の中に影を潜めていたことに気づき始めるのです。
「まわりの評価や期待にこたえるためにがんばる」
この考え方は、心にかなり負担がかかっていたんだと思います。
思い返してみると、それはもうずっと前からそういう感覚があったみたいです。具体的なエピソードを4つのせておきます。もしかするとあなたの抱える生きづらさをぼくも共有できるかもしれません。
1. 「やめたくてもやめれなかった野球部」
中学生の時、野球部を2か月でやめたくなった。なかのいい友達が野球部に入ったからぼくも一緒に入ったけど、練習が思ってたよりもきつくてついていけなかった。
母親や顧問の先生(中1の担任の先生でもあった)は「一度始めたことはやり通そう」とか「おれが顧問になってから退部した生徒はひとりもいない」とかなんとか言って、続けるように説得してきた。
野球部をやめれば厳しい練習とおさらばできるのでその時は楽になる。でも母親や顧問のぼくに対する評価は下がるだろうな。今後、2人がぼくと表向きにはふつうに会話をしていても「言いつけを守らなかったやつ」「途中で逃げ出して根性がないやつ」と未来永劫、裏ではそんなふうにずっと思われ続けるかもしれない。母親や先生からだけじゃなく、野球部の同級生からもそんなふうに思われるかもしれない。
こんなことを頭の中でぐるぐるとずっと考え続け、未来の人間関係の苦痛から逃れるため、今、自分だけが我慢すればいい方法を選んだのでした。
2. 「モテるために人格偽装した大学生」
大学の同級生で仲が良くていつもいっしょに遊んでた男友達が3人いて、これがまたそれぞれ女の子にも人気でめっちゃうらやましかった。
当時、人生の氷河期なみに彼女ができなくて意気消沈していたぼくは、3人の立ち振る舞いをマネするようになった。そしたら「ムリに人のマネせんでいいんよ。CくんはCくんの良さがあるんやけん」って声をかけてくれた女の子がいた。
肩の力がすっと抜けたのをよく覚えてます。これは今もぼくの心を支えてくれてる大切な言葉ですね。
そしてどうでもいいですが「あるんやけん」はかわいすぎた(笑)
人のマネしてまでモテようとしてた心の内を見透かされてたと思うと恥ずかしいかぎりですが。
3. 「評価されたくてがんばった学会発表だったのに…」
今だからわかることだけど「早く丁寧に」というのはぼくが苦手な仕事のスタイルだった。新人の頃はそんなこと気づく余裕もないから、ただがむしゃらにやって空回りして、いわゆる仕事のできないやつだった。
そんな新人時代の劣等感を払拭すべく、周囲から良い評価をもらうことをやりがいにして、必死に働いてた。
ある年、職場の先輩Aからの推薦で学会の発表者に選ばれた。ぼくはここぞとばかりに持てる時間のすべてを使って数か月間準備した。必死のパッチでやりきって発表も無事に終了。「さぁみんな!おれをほめたたえよ!」とうきうきしていた。
ところが指導してくれていた先輩Aからは「おつかれさま」程度の声かけだけだったから拍子抜け。職場の他のスタッフも特に反応はなし。
がくぜんとした。
何のためにおれは頑張ってたんや?って思った。他人の評価クソくらえって思い始めた頃の話。
4. 「ハリウッドスター顔負けのスピード離婚劇」
最初の結婚はいろいろ無理がたたって挙式から1か月後には別居することになったんですね。
大人になったら定職についていい人見つけて結婚して子どもを授かって家を買って…。こんな感じの理想の「人生を幸せに生きる方程式」がいつの間にか自分の中にできあがっていて、このとおりにしないと変わり者扱いされたりダメな人間のレッテルを貼られるという思い込みがあったんですね。もちろんぼくの勝手な思い込みです。
元妻はかなり気難しい人間でした。でも頭の回転が早かったし家計の管理も完璧にしてくれてたし「結婚するならこういう人にしないとな」と理想の妻像を重ねていました。
それと「結婚して1人前の男になって早く親を安心させてあげないと」という使命感もありました。
誰が考えた理想?誰のための使命感?
世間や他人が作り出した理想と使命感にあやつられ、元妻と結婚することが本当の自分の幸せのために必要なのかどうか。そもそも大切なことに目を向けれていなかったんです。
結果、入籍から9か月、挙式から4か月後には離婚することになったわけです。
自己理解
人生の主導権を自分に取り戻す
他人からの評価のためだけに生きるのは何かちがうなと思い始めた頃、看護師の仕事にもやりがいを感じられなくなり、何か自分の力だけで収入の柱を増やすことはできないものかと副業にチャレンジしようと考えました。その過程で自分の強みや得意探しに取り組むことになり、人生で初めて自分と向き合うことになるのでした。
自己啓発や自己理解の本を何冊か読んで実践しました。これは例えるなら他人に奪われていた自分の人生の主導権を取り戻した感覚でした。正しくは取り戻し始めたというべきなのでしょうが、自分と向き合うという初めての経験はとても重要な人生の分岐点になりました。
おれってHSPだったんだ…
得意や強み、考え方のクセが明らかになるにつれ、自分の中の繊細な感覚に気づきはじめます。繊細さをテーマにした本を読み、そこではじめてHSP(Highly Sensitive Person)という概念にふれました。
「あぁ、おれってHSPだったんだ。」
HSPという言葉自体は知っていたし、そういう性質の人がいるということは知っていたけど、まさか自分がそうだったなんて…。とてもすがすがしい気持ちになったことを覚えています。
人生を豊かに生きるために
HSPは「繊細さん」や「敏感すぎる人」というような呼び方で知られていますが、およそ世界の5人に1人がこの性質を持っているそうです。
ひといちばいたくさんのことを感じ、深く考え、味わう。
心の網の目が細かい分、すてきだなと思うことにたくさん出会えますが、うっとおしいと感じること(意識的 or 無意識的とか関係なく)にもたくさん直面することになります。そして社会ではHSPではない人が多数派なので、どうしてもいろんな基準がそっちよりになってしまいます。ふつうに生きているだけでよけいに疲れてしまったり、それを誰かにわかってほしくてもなかなか理解してもらえなかったり…
そんなわけで、生きづらさの正体はわかったんですが、今度はこれとうまく付き合っていくことが課題となりました。
SNSで情報発信からブログへ
とにもかくにもHSPどうしで交流がしたい!と思ったのでそういう集まりをさがしました。でも都心部ではさかんに交流会があるみたいなんですが地方では少なくて、あってもなかなか日程が合わなかったり…。
じゃあ家の近所でカウンセリングしてもらえるセラピストさんがいないものか!とさがしてみたりしましたが、実際に行っても何を話せばいいんだろうとか変に思われたりしないかな?なんて思ってたらなかなか行動にうつせず…。まぁうだうだとそんなことを考える余裕があるということは、まだ心が追い込まれていないということなのかもしれませんが。
といろいろ考えながら本を読んだりもんもんとする日々。
そして最終的に、リアルではなかなか交流の機会がなくてもSNSやブログならつながれるかもしれないという思いで𝕏での情報発信を開始しました。
ブログの目的とコンセプト
ぼく自身、繊細な感性を人と共有できなかったり、「どうせ自分の考えはわかってもらえない」という世間からの疎外感を1人で抱えて生きてきました。それは世間が悪いとかそういうことを言いたいわけじゃなくて。
ただ、ぼくと同じ思いをしている人がもしどこかにいるとしたら、このブログが少しでも助けになれたらぼくも救われるなと。
ブログの内容
自己理解、内省、人間関係、仕事のこと、夫婦のやりとり、子育てなど日常のできごとを中心にもやもや・いらいら・きらきらしたことを日記やエッセイのような形式で書くことになると思います。繊細さんへのおすすめの本・映画のレビュー記事も掲載します。
ブログのコンセプト
日常の些細なできごとに気づき、過剰に刺激を受け、深く考え、強く感情をゆさぶられながら毎日を生きる運営者の様子をみて自由に楽しんでいただければ幸いです。
Cくんの目標
『世界のすみっこで生きづらさを抱えながら1人でもんもんとしている繊細人間だったけど、ありのままの自分で生きていけば大丈夫だと思えるようになったよ』
このブログを読んでくれた人にそんなふうに思ってもらえたら最高です。
「HSP」とは人の資質を指すことば。人生を豊かに生きるための道具のようなものだと思っています。包丁だって使い方しだいで美味しいご飯を作って人を喜ばせることもできれば、自分や人を傷つける凶器になりえます。
この特徴の長所と短所を知り、ほんろうされながらもみんなが自分らしく生きていければと思っていますし、ぼく自身もそうでありたいです。
最後に、趣味・好きなこと
読書
自分の知らないことを知ることで快感を感じるみたいです。それに気づく36歳までほとんど本を読んでこなかったのでまだまだ読書初心者ですね。あと心にグッとくる表現や言い回しに出会えると洗練されえていくようでうれしくなります。自己啓発、エッセイ、子育て、お金の教養とかその時々で気になる本を読んでます。
映画鑑賞
自分の感性が刺激されるので好きです。あとは現実逃避が目的だったりします。子どもの時から父親がVHSテープに録りためていた金曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場を時間があれば見ていました。ジャンルはいろいろ見ますが、ジブリやスター・ウォーズが好きです。一番好きな映画は「フォレスト・ガンプ〜一期一会〜」。
1人反省会
気になったできごとを頭の中でぐるぐると考えてしまいます。趣味というかクセです。これをやりだすと時間があっという間に溶けていきます。良くも悪くも、ぼくが何か決めるときの必要不可欠な思考過程だったりもします。
書くこと
良いことも悪いことも感情をため込むとしんどくなるので書いて外に出すようにしています。1人で考え込んでしまうクセがあるので、心の安定剤みたいなもんです。自分の心が動いた瞬間の感情をリアルタイムでスマホのメモアプリに吐き出すように書いては、あとからその時の思いを振り返ってブログに書いたりXにポストしたりしてます。