ポケモンGOは人生の無駄?/時間がもったいない?趣味は楽しけりゃOK

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スマホゲームアプリとして大人気の「ポケモンGO」だが
- 人生の無駄
- 大人が必死になってキモい
など、ゲームで遊んでいない人に加えて元プレイヤーからもネガティブな意見がネット上で見られる。
こんな意見を見聞きすると、ポケモンGOを楽しんでいる自分はどことなく何かまちがっているのかな?なんて思ってしまうのも無理がない。
このように
あなたは何かやりたいことがあるのに、周囲からの評価や世間体を気にしてあきらめてしまってはいないだろうか?
あなたが一生懸命取り組んでいることでも、ふとネットやSNSで見た他人のキラキラ人生と比較して、劣等感や虚しさを感じることはないだろうか?
結論、人生の貴重な時間をポケモンGOに費やすことは無駄ではない
まわりの人から何と言われようと、やりたいことをやったもん勝ちである
この記事では、現状、ガチ勢とまではいかずとも
ポケモンGOのリリース当初からゲームを楽しみ続けている私が
個人の趣味をとことん楽しみ、情熱を捧げる意義について思うところを述べていく。

人生は楽しんだもん勝ち。他人に何を言われようが、自分がしたいことをすればいいんじゃない?
【ポケモンGO】その輝かしい歴史

ポケモンGO(正式な表記は「Pokémon GO」)はナイアンティックと株式会社ポケモンによって共同開発されたスマートフォン向け位置情報ゲームアプリだ。
2016年7月6日にオーストラリア、ニュージーランド、アメリカで最初にリリースされ、初月だけで1億ダウンロードを超えた。
2024年6月までの総ダウンロード数は10億を超え、
65億ドル…
すごい…
すごいわかりにくい
だいたい桁も大きけりゃドルにもなじみがないから何もわからない。
参考程度に、こちらもスマホなどの端末でプレイできる「パズル&ドラゴン」の収益と比較してみる。
「パズルRPG」の代名詞ともいえるパズル&ドラゴンは2012年2月にリリースされ、2023年2月(リリースより11年)時点の累計収益は67億ドルを超える水準とのこと。
いや、わからんわ
同じような金額の比較をひっぱり出してこれたことは自分でもほめてあげたいと思う。
でもわからん。
お昼のワイドショーでよくやる「春に家族で出かけたいレジャー施設特集」で、施設の広大な面積を説明するときに「東京ドーム◯◯◯◯個分!!」みたいな説明するけど「けっきょく東京ドームも行ったこと無いしようわからんわ!」ってなるぐらいわからん。
だいたい「東京ドーム◯◯◯◯個分」て桁がおかしいし、そんな例え方をするイカれた人に会ってみたい。
そのうえ1,000個単位で東京ドームが入るレジャー施設があったら教えてほしい。
別に行きたくはない。知りたいだけ。
そんなこんなで日本では2016年7月22日にリリースされ、街や公園が人々であふれかえってしまうほどの社会現象に発展していった。
そんなゲームだ。
私とポケモンGO
ここからは私の実体験の話をしようと思う
どうやってポケモンGOを始め、どんな遊び方をしてきたのか
そんな話である
はじめはアンチポケモンGOの立場だった

2016年7月末、私は職場の同僚達と四国へ旅行に出かけていた。
その頃は、毎年同じメンバーで「夏旅」と称して3〜4泊程度の旅行に出かけ、短い大人の夏休みを楽しんでいた。男6人で中身の無いくだらない話をして笑う。それが最高に楽しかった。
この遠征には、メンバーの1人で理学療法士の友人が自分のVOXYを移動手段として提供してくれた。運転は交代で行い、時間のゆるす限り四国の名所を目指してあっちこっち走り回った。
その道中で立ち寄ったサービスエリアのフードコートにあったテレビのニュースが、ポケモンGOの日本でのサービス開始とユーザーの反応を伝えていた。ニュースキャスターが原稿を読み上げる声とともに、公園や街中に人があふれる映像が目に入った。
ただ人だかりができているというような穏やかな光景ではなかった。
横断歩道がない場所で道路を横切る群衆。
まだ実装されていない珍しいポケモンが出たというデマにおどらされ、そのポケモン欲しさにルールやモラルを無視したプレイヤー(多くが大人)の行動を画面越しに見て不快感を抱いたことをよく覚えている。
サービスエリアでの用事を済ませ、車内に戻った後、友人の1人が興味本位でポケモンGOをスマホにインストールしようとアプリを検索した。
するとポケモンGOのパチモンアプリのまぁ多いこと。まちがって友人がインストールしたアプリの名前はたしか
ポケモンGOGOGO
本家アプリを超えていきたいという意気込みはその名前からよく伝わってくる。
が、中身は粗悪極まりない作りだったことは言うまでもない。
実家の母親が作る焼きそばという名からは程遠いベチャベチャの肉野菜ゆで麺混ぜそば(ソース風味)の方がよほどマシな出来栄えだった。
とにかくそんなこんなで、欲にかられた人間の汚い部分が見え隠れするこのゲームに対する私の最初の印象は良いものではなかった。
人生の無駄のはじまり

楽しい時間が過ぎ去るのはあっという間だ。
大騒ぎの旅行が終わり、当時1人ぐらしをしていたハイツの部屋で孤独と持て余した時間と向き合う。
そんな時は、スマホを手に取り旅行中に撮影した写真を見返し、楽しい時間を思い起こして現実逃避をするのが相場だ。
その間、一瞬はタイムスリップできるけど、ひと通り見返し終わればそこはまたいつもの見慣れた部屋。
ふと、ポケモンGOのことを思い出す。
いくら嫌悪感を抱いたものであっても、人って孤独には勝てないんだなとつくづく思う。
「ちょっとだけ…」
8年半が過ぎた今も、この「ちょっとだけ」に付き合っていることを当時の私はもちろん想像していない。
アプリを検索しポケモンGOをダウンロードする。ポケモンGOGOGO?もうだまされないぜ。
アカウント登録を済ませて、ゲームが始まると画面に現れた3匹のポケモンの中から1匹を選ぶという本家のポケットモンスターのゲームと同じ流れの演出。
「そうそう、この3匹やったわ。おれは断然ヒトカゲ派。」
私はどっちが勝った負けたとかその2者択一で物事を決めてしまうのが大嫌いだ。結果よりも過程を大事にしたい。3歳半の我が家のチビかいじゅう(♂)にもそう教えていくつもりだ。
もし勝ち負けだけで判断してしまったら、いつもアンパンマンに殴り飛ばされて空の彼方にキラリンと光って消えてしまうバイキンマンのアイデンティティはどうなるのか。
彼には彼なりの考え方があり、行動はそれに根付いた単なる結果である。
しいていうなら卑怯な手口は控えてもう少し精鋭堂々とアンパンと対峙してほしいところだ。
しかし、この時ばかりは私の完敗だったと思う。
頭の中から小学4年生の時の楽しかった記憶を無意識のうちに引きずりだされた時点で私の心は十二分に魅了されていたのだ。
見た目はおとな。中身はポケモン少年。

ひとたびハマってしまえば、時間がゆるす限り没頭するのが私だ。
ポケモンGOはその後、多彩なやりこみ要素が追加されていくことになるのだが、夢中でポケモンを集めたくなる仕掛けは当初から十分に用意されていた。
その仕掛けの1つが出現頻度の少ない珍しいポケモン(以下レアポケモンとよぶことにする)を捕まえることである。
初期の頃に実装されていたポケモンでいえば、
サワムラー、エビワラー、ベロリンガ、ラッキー、モンジャラ、ストライク、ルージュラ、エレブー、ブーバー、カイロス、ラプラス、ポリゴン、プテラ、カビゴン、ミニリュウ
ざっとこれぐらい。まぁまぁいたなと書き出してみて改めて実感した。
8年前の私の体感なので多少の思い違いがあるかもしれないが、上記のポケモンはただそのへんを歩いているだけではめったに出会うことはできない。というかほぼ出会うことができないものもいた。
というのもこのゲームは市街地や都市の中心部ではポケモンが多くあらわれ、山間部などの人口が少ないところではあまりポケモンに出会えないという設定になっていた。
理由はいろいろあるのだろうが、地域格差に不平不満を訴える人が多かった理由がこういうところにある。
そして私が住んでいたところもポケモンの出現頻度が少ないところだった。
ポケモンは1度捕まえればそれで終わりではなく、同じ種類のポケモンでも個体値(強い、弱いとか)に差があり、さらに進化や育成するには同種のポケモンを何匹も捕まえる必要があった。
ほんとうにうまく作られたゲームだと思う。
実家の母親が作るカレーの味は知らず知らずのうちに舌と脳みそにすりこまれていく。他にもおいしいカレーはあるけれど、一周回って母親のカレーを食べると「けっきょくコレなんだよな」と頭の中で声がする。
その声の主に問いたい。「コレ」だけカタカナにしたのはなぜですか?
子どもの頃から蓄積された体験は無意識でも強烈に印象に残っているものだ。
どのポケモンがレベルいくらでなんの技を覚えてそれから進化するにはさらにいくつまでレベルを上げて…
そんなふうに全力で楽しんでいた子どもの頃に負けじと、当時30歳のポケモン少年はもっとレアポケモンをがっつり捕まえたいと思った。
「そうだ!天保山(てんぽうざん)へ行こう!」
先ほども説明したように、ポケモンは市街地のほうがたくさん出現する。その中でも圧倒的なポケモンの出現数とレアポケモンの高い出現率を誇る場所が存在した。
その場所は聖地と呼ばれ、ユーザーからは一目置かれていたのだ。
関西ではその聖地がまさしく天保山だったのである。
ちなみに東京の方ではお台場や、当時ミニリュウの巣として設定されていた不忍池(しのばずいけ)が人気スポットだったと認識している。
西の天保山!東のお台場!
特に意味はない。ちょっと言ってみたかっただけだ。
こうして私は聖地へおもむく決意を固めたのである。
聖地巡礼 -Episode1/天保山-

9月とはいえ、太陽の日差しがガンガンにさす暑い日だった。
特別な理由でもない限り、クーラーが効いたすずしい部屋の中で氷入りの冷たいコーラを飲みながらYouTubeを見ていたい。
普通の人ならそう思うだろう。
しかし私には特別な理由があった。行かねばならない。まだ見ぬレアポケモンを求めて!
天保山は大阪府大阪市港区の海に面した天保山公園にある、人工的に土を積み上げて造られた山(築山)である。すぐとなりには水族館「海遊館」や、大型商業施設「天保山マーケットプレース」、大型観覧車「天保山大観覧車」からなる天保山ハーバービレッジがある。
多くのユーザーはこのあたり一帯の屋外地域をまるっとまとめて天保山と呼び、活動エリアとしていたと認識している。
当時住んでいた家から天保山へ行くには、電車を3回ほど乗り継ぎ1時間以上かかった。
いま考えれば我ながらあきれもするが、一方ですごい熱量だとも感じる。
天保山の地に降り立つやいなや、私の心は感動と興奮であふれていた。
起動したポケモンGOの画面には、ゲームを楽しむためのギミック(ポケストップやジムとよばれるもの)がところ狭しと並んでいた。そして私と同じようにポケモンGOを楽しむためにやってきたポケモントレーナー(ポケモンGOのプレイヤーをそんなふうに呼んだりする)の多いこと。
なにより湧き出すポケモンの数、密度、種類の多さに驚いた。
世界にはいろんな聖地がある。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとってのエルサレム(行ったことない)
「となりのトトロ」ファンにとっての狭山丘陵(行ったことない)
「千と千尋の神隠し」ファンにとっての道後温泉本館(行ったことある)
「もののけ姫」ファンにとっての屋久島(行ったことある)
お腹の調子が悪い時の私にとってのトイレ(さっきも行った)
そして私の中で天保山もまちがいなく聖地となった。
当日の装備は半袖、短パン、履き慣れたくつ、リュックサックだった。リュックの中にはたしか財布とポケットティッシュと汗拭きタオルとペットボトルのお茶。その後も天保山には何回も通うことになったので持ち物はだいたい覚えている。
フェイスタオルサイズの汗拭きタオルがびしょびしょになり、リュックの肩紐や背中と触れている部分がじんわり汗で湿っても、それでも私は夢中になって歩き、ポケモンを捕まえ続けた。
近くに珍しいポケモンが出現したことをいち早く察知する方法がある。
それは人の流れを追うことである。
数人が同じ方向に向かって走っている光景を目撃した場合、その後を追いかければ行き着く先でなんらかの珍しいポケモンに遭遇することができる。
誰かが珍しいポケモンと偶然であう→その場に居合わせたポケモントレーナーどうしで盛り上がる→その様子を見ていた別のポケモントレーナーがその場に駆けつけようとする→その様子を見た別のポケモントレーナーがレアポケモン出現の予感を察知し走り出す
こういった具合である。
なので特に聖地と呼ばれる場所ではうかつに走ることができなかった。不用意に走り出そうものなら、すぐさま大人数十人を引き連れて理由なき追いかけっこを始めた首謀者となってしまう。
「全軍、前進」
王騎将軍もびっくりの大軍勢を率いたければ、天保山でモバイルバッテリーを接続したスマホ片手に走ってみることをおすすめする。
もっともリリース当初のにぎわいが無くなった現在ではこの現象を引き起こすことは難しいかもしれないが。
聖地巡礼 -Episode2/大阪南港-

私は物足りなさを感じていた。
たしかに珍しいポケモンをそれなりにたくさん捕まえた。
進化させたり強化したりポケモンの育成もできた。
でも…
ラプラスをつかまえていない
そう、聖地へおもむいた大きな目的のひとつに、ラプラスを捕まえたいという思いがあった。
ラプラスというポケモンは、原作(ポケットモンスター赤・緑)では野生で捕まえることができず、ストーリー中に1匹だけ入手することができる特別な仕様になっている。加えてステータスの高さや人を乗せるのが好きという設定もあり人気のポケモンだった。
またポケモンGOリリース当初から、プレイしている様子をYouTubeで配信する人たちも多く、天保山でラプラスをゲットする動画もあった。
ゆえに、私はラプラスを捕まえるという夢を、この天保山で果たしたいと強く強く思っていた。
しかし、いくら聖地といえどもそうやすやすと出会えるものではないらしい。
かくなる上は…
「南港(なんこう)へ行こう!」
南港は大阪市にあり、大阪港に面した住之江区域のことを指す。いくつものフェリーターミナルや多くの運輸業者の倉庫が立ち並ぶ物流の拠点である。
実はこの南港もレアポケモンの出現頻度が多く、ここを活動拠点(もはや単なる遊びではなくなっている?)としているトレーナーも多かった。
南港といっても、私が利用していたのはアジア太平洋トレードセンター(ATC)という商業施設やインテックス大阪というイベント会場周辺のいずれも屋外部分だ。最寄りの駅でいうと大阪メトロ南港ポートタウン線(ニュートラム)のコスモスクエア駅やトレードセンター前駅にあたる。
ちなみに天保山は大阪メトロ中央線の大阪港駅が最寄りであり、コスモスクエア駅のとなりだ。
南港も天保山に引けを取らないスポットであったが、立ち回りのしやすさでは天保山に分があり、やはり聖地といえば天保山という印象だった。しいていうなら南港は「裏・聖地」といったところか。
え、「裏」ってなに?
聖地の裏って、聖地の反対っていう意味?じゃあただの土地やん。
そんなことを考えている間に南港へ到着した私は、ラプラスの影を求めてまた散策を開始した。
南港へもその後何回か通うことになるのだが、ラプラスは4〜5時間の滞在で1回遭遇できるかできないかという出現頻度だった。
スマホのゲーム画面に初めてラプラスが出現した時の心臓をギュッと握られたようなあの感動は今でも忘れられない。
それから捕まえられずに逃げられた時の心臓をギュッと握られたようなあの絶望も今でも忘れられない。
ラプラスとの出会いで、私の心には「興奮」という名の体験が深く刻み込まれた。
ある意味、ラプラスに開発されてしまった人間である。
この体験をまた味わえることを期待して、私は8年たった今もまだポケモンGOを続けてしまっている。
ラプラスをさがすこと=生きる目的の探求

8年も続けていると、ゲームを有利に展開していくためのいくつのか技を習得する結果となった。
「サークル固定投法」がその代表的な例だ。
その他にも
魔貫光殺砲
石破天驚拳
超究武神覇斬
なんと驚くべきことに、「Google日本語入力」をパソコンのキーボードのテキスト入力に設定しておけば、上記の技名が1発で変換される。実に気持ちがいい。
ぜひ設定しておくことをおすすめする。
長く続けてきて他に良かった出来事といえば、近所の商業施設でレイドバトルに勝った報酬として出現したバンギラスの捕獲に難渋していた中学生ぐらいの初心者プレイヤーがいたので、代わりに捕まえてあげたことがあった。
あの少年、実にうれしそうな表情でお礼を言ってくれた。
ゲームといえ、私は自分のスキルが人の役に立ったことが誇らしく、得意げに育成方法のアドバイスもしたような気がするが、いま思えば少しウザくなかっただろうか。
私のことは嫌いになっても、ポケモンGOのことは嫌いにならないでほしい。
あらためて、なぜ当時の自分はあんなにもポケモンGOに熱中していたのだろうか。
私は、自分の生きる目的を見つけたかったのだと思う。
あの頃の自分は、仕事も頑張っていたし(いまも頑張ってるけど)、友達とも全力で遊んでいたし、恋人だっていたし、まわりから見ればそれなりに充実した人生だと評価されうる日常を送っていたと思う。
でも実情は、全く心が満たされていなかったのだと思う。実際、その時々で楽しいと思うことがあっても、それが終わればまた虚無感におそわれた。
心に湧き上がる熱い情熱の矛先をどこに向けていいかわからず、くすぶっていたのだと思う。その情熱がどんな形で、どんな名前で、どんな意味があるものかもわからず、ただとてつもないエネルギーを抱え持っているだけの状態だった。
それが不意に衝動にかられて始めたポケモンGOというゲームにより開放され、熱中する結果になったのだと思う。
ポケモンGOをやっている時はそういった虚しさから逃避することができた。
珍しいポケモンを見つけ、捕まえることで自分の満たされない欲求の埋め合わせをしていた。
私が必死に追いかけていたのは、探していたのはラプラスではなく、生きがいだった。内なる情熱のやり場だった。
人生をかけてでも取り組みたいと思えるような、本当にやりたいことを見つけたかったのだ。
ポケモンGO(趣味)が人生の無駄かどうかは自分次第

自分は何に幸せを感じるのか?自分が本当によろこぶことは何なのか?
これがわからないまま生きていく事は本当につらいと思う。
ゴールがどこにあるのかわからないマラソンを走り続けるようなものだ。
周囲からの評価や意見を気にするばかりで、「しんどい」「つらい」「そんなこと、おれが本当にやりたいことじゃない」という自分の本当の気持ちをないがしろにしてきた結果、私も目的地を失ったマラソンランナーになってしまっていたのだと思う。
自分がしたいと思うことをやってみればいい。
「まだポケモンGOやってんの?」
「他にすることないの?」
余計なお世話である。
その時々で自分の内なる声に従って、「こっち」「あっち」「なんかちがうか?」「今度はこっち」と歩を進めていけば、いつか自分なりのゴールにたどり着けるはずである。
目的地を思い描き、より早くゴールに辿り着きたい人はこの記事も参考にしてみてほしい。

「人生は壮大な暇つぶし」
堀江貴文さんの言葉だが、私もこの考え方に同感だ。
人にわざと迷惑をかけたりせずにルールの範囲内でやるなら人生は楽しんだもん勝ちだと私は思うし、いまはまだ3歳半の我が家のチビかいじゅう(♂)にも将来そう教えていくつもりだ。じゃないとパパのようにたくさんたくさん後悔することになるよと。
するとチビかいじゅうからはこんな質問がくるだろう。
「パパはどれくらい後悔したの」と。
そこで私はこう答える。
「東京ドーム1,000個分」